息子のお泊り保育2013-07-24 Wed 22:29 今日、幼稚園の年長組はお泊り保育です。 午後2時すぎに幼稚園へ行って、水遊びや晩御飯づくりをして、 銭湯に行ったり、キャンプファイヤーをしたり、幼稚園の隣の 教会を探検したり(宝探しゲーム)するそうです。 着替えを何組かと、バスタオルやら水遊びセットやら上履きやら何やらで いっぱいの荷物をキャリーバックに詰めこみ、 ドキドキ、ワクワクな気持ちを引っさげて行きました。 コロ助が生まれてからというもの、私が仕事で泊まりだったことは 1度だけありましたが、コロ助が泊まりで家にいないのは、今回が初めてのこと。 普段、ささいなことでイラっとしてしまうことや、 「相手して~相手して~」という、構ってくれアピールに 疲れることが多いです。自分に余裕がない時は特に。 でも、コロ助がいるといないとでは、こんなにも家の中の音や 雰囲気が違うのか、と、いま思っています。 なんというか、ガラーンとしている感じ。 人っけの少ない通りや、遊ぶ子供のいない公園のよう。 幼稚園、小学校、中学校と、だんだん育っていくうちに、 コロ助も友達と過ごす時間が増えて、クラブや自分の世界が広がっていくだろう。 こんなに濃く一緒にいられるのも、今しか出来ないんだろうな。 普段の生活では、やることに追われてバタバタ過ごしているので、 ゆっくりする間もなかなかない感じですが、 今日のように、小休止つける時間と一人でいられる空間があると、 ふとそんな風に思います。 (戻ってきたら、また普段の生活になって、「ちょっとどっか行っといて~」と 思うんでしょうけどね) うちのコロ助君は、今頃はもう寝てるかな。 明日、帰ってきたあと、お泊り保育の様子をどんな風に話してくれるか 楽しみです。 スポンサーサイト
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0721 真夏の怒り2013-07-22 Mon 17:03 よい方向に使われうる怒りがある →悪い環境、状況を変えるための怒り しかし、アダムとエバの堕落の後、 怒りが自己中心的なものになってしまった。 私たちが怒りを感じるとき、それが 間違いに対するものか、 自己中心のものかを知る必要がある エペソ4:26-27 聖書は、怒りが罪であるとは言っていない。 私達の責任は、それにどう対応するか。 怒ったままだと、敵にドアを開けてしまう。 どのようにして、自分を(怒りを通して働く敵の力)から守るか。 怒り以外に、恐れも敵にドアを開く 私達の周りにいる人たちを、 信じ、 赦し、 受け入れ、 愛する。 そうすることで敵の力を砕く。 (例1)ベンハーがイエス様から水を注がれるシーン。 怒りに満ちていた状況が変わった。 (例2)ステパノの殉教のシーン。 「彼らをゆるして下さい」 教会せいかつ | ![]() |
Don't give away your joy(^_-) Part12013-07-09 Tue 22:00 嫌いで、苦手な人が職場にいる。 一緒にいるのも、その人がペラペラしゃべってるのが聞こえてくるだけで、 虫唾が走る~っていう存在。 でも、でも、ちょっと待てよ、とふと思った。 私の平安や喜びを、その人がいることで削られるとする。 それは誰がそうしてるん? その人がか? いやいや、他ならぬ自分やわなぁ。 だって、その人からの影響を受けることを選択してるのは自分やから。 ほな、自分が悪いんや~って、自分を責めたら状況が良いように変わるんか、というと、 そんなワケないですわなぁ。 要は、自分の感情の責任を他人になすりつけず、 かつ、自分も責めんかったらよろしい。 その人を受け入れられない、 ひっかかる何かが自分にはあるんやなぁ、と。 それが、現状の自分のありのままですな、ということを受け入れてみる。 すると、相手にカチーンときたとしても、 自分を受け入れてる分、反動(衝撃や消耗)の度合いは変わってくる気がする。 自分の本心を理性やらこうあるべきだという観念で 無理栗に押さえつけるよりは、どうも良いみたいだなと思う。 経験的に。 感想 | ![]() |
六年前の記憶2013-06-29 Sat 22:54 子供みたいな部分と、 大人の部分。 両者のバランスが取れているのがJesus。 私の場合、大人の部分が子供の部分を 四六時中叱りつけている気がする。 ふざけんな! 甘ったれたことぬかすな!ボケ そんなことが通用すると思うな! (または、「通用させんなよ、周りの人間も」) なめんなよ などなど、とかく怒り心頭の毎日です。 身体のそこかしこに、怒りや苦々しさの蓄積による影響が出ている。 まずは、不眠症だ。 あと、過食による胃腸の不調。 ココロには厭世観、無気力が漂っている。 バイブルから打開のヒントを探る日々。 感想 | ![]() |
六年前の記憶2013-06-29 Sat 17:27 自己憐憫だ、とか言う奴はもう好きに言っとけ。 そうだ。 思い出したよ。 六年前の今ぐらいの時だ。 私は死のうとしてたんだ。 オーバードーズして、死にたいと思って。 救急車で運ばれて、病院に母や姉が来て。 その後、一週間か二週間ぐらいしてからかなぁ。 身体が熱っぽくてダルくて、 姉のアドバイスに従い 検査薬を使ってみたら、陽性反応。 頭ん中はめちゃくちゃ混乱状態だったけど、 私にはまだ何らかの使命があるんだな、と思ったのは覚えてる。 そっからむちゃくちゃ、ゴタゴタ続きになるとは知らずにね~。 思い出すこと、あんまりなかったのに、思い出すってのは、 なんなんだろうね。 特段意味は無いのかもしれないけど、 ココロに巣くう、病気の源泉みたいなものなのかな、と思う。 感想 | ![]() |