ひとりの人のチカラ。

「1人の人の存在は多くの人に影響する」 from "It's a wonderful World !!"

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息子のお泊り保育

今日、幼稚園の年長組はお泊り保育です。

午後2時すぎに幼稚園へ行って、水遊びや晩御飯づくりをして、
銭湯に行ったり、キャンプファイヤーをしたり、幼稚園の隣の
教会を探検したり(宝探しゲーム)するそうです。

着替えを何組かと、バスタオルやら水遊びセットやら上履きやら何やらで
いっぱいの荷物をキャリーバックに詰めこみ、
ドキドキ、ワクワクな気持ちを引っさげて行きました。


コロ助が生まれてからというもの、私が仕事で泊まりだったことは
1度だけありましたが、コロ助が泊まりで家にいないのは、今回が初めてのこと。

普段、ささいなことでイラっとしてしまうことや、
「相手して~相手して~」という、構ってくれアピールに
疲れることが多いです。自分に余裕がない時は特に。

でも、コロ助がいるといないとでは、こんなにも家の中の音や
雰囲気が違うのか、と、いま思っています。
なんというか、ガラーンとしている感じ。
人っけの少ない通りや、遊ぶ子供のいない公園のよう。


幼稚園、小学校、中学校と、だんだん育っていくうちに、
コロ助も友達と過ごす時間が増えて、クラブや自分の世界が広がっていくだろう。
こんなに濃く一緒にいられるのも、今しか出来ないんだろうな。

普段の生活では、やることに追われてバタバタ過ごしているので、
ゆっくりする間もなかなかない感じですが、
今日のように、小休止つける時間と一人でいられる空間があると、
ふとそんな風に思います。
(戻ってきたら、また普段の生活になって、「ちょっとどっか行っといて~」と
思うんでしょうけどね)


うちのコロ助君は、今頃はもう寝てるかな。

明日、帰ってきたあと、お泊り保育の様子をどんな風に話してくれるか
楽しみです。
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子育て |

0721 真夏の怒り

よい方向に使われうる怒りがある
→悪い環境、状況を変えるための怒り

しかし、アダムとエバの堕落の後、
怒りが自己中心的なものになってしまった。

私たちが怒りを感じるとき、それが
間違いに対するものか、
自己中心のものかを知る必要がある

エペソ4:26-27
聖書は、怒りが罪であるとは言っていない。
私達の責任は、それにどう対応するか。
怒ったままだと、敵にドアを開けてしまう。

どのようにして、自分を(怒りを通して働く敵の力)から守るか。

怒り以外に、恐れも敵にドアを開く

私達の周りにいる人たちを、
信じ、
赦し、
受け入れ、
愛する。

そうすることで敵の力を砕く。

(例1)ベンハーがイエス様から水を注がれるシーン。
怒りに満ちていた状況が変わった。

(例2)ステパノの殉教のシーン。
「彼らをゆるして下さい」
教会せいかつ |

Don't give away your joy(^_-) Part1

嫌いで、苦手な人が職場にいる。
一緒にいるのも、その人がペラペラしゃべってるのが聞こえてくるだけで、
虫唾が走る~っていう存在。


でも、でも、ちょっと待てよ、とふと思った。

私の平安や喜びを、その人がいることで削られるとする。
それは誰がそうしてるん?

その人がか?

いやいや、他ならぬ自分やわなぁ。

だって、その人からの影響を受けることを選択してるのは自分やから。

ほな、自分が悪いんや~って、自分を責めたら状況が良いように変わるんか、というと、
そんなワケないですわなぁ。

要は、自分の感情の責任を他人になすりつけず、
かつ、自分も責めんかったらよろしい。

その人を受け入れられない、
ひっかかる何かが自分にはあるんやなぁ、と。
それが、現状の自分のありのままですな、ということを受け入れてみる。

すると、相手にカチーンときたとしても、
自分を受け入れてる分、反動(衝撃や消耗)の度合いは変わってくる気がする。

自分の本心を理性やらこうあるべきだという観念で
無理栗に押さえつけるよりは、どうも良いみたいだなと思う。
経験的に。
感想 |

六年前の記憶

子供みたいな部分と、
大人の部分。

両者のバランスが取れているのがJesus。

私の場合、大人の部分が子供の部分を
四六時中叱りつけている気がする。


ふざけんな!
甘ったれたことぬかすな!ボケ
そんなことが通用すると思うな!
(または、「通用させんなよ、周りの人間も」)
なめんなよ

などなど、とかく怒り心頭の毎日です。

身体のそこかしこに、怒りや苦々しさの蓄積による影響が出ている。

まずは、不眠症だ。
あと、過食による胃腸の不調。
ココロには厭世観、無気力が漂っている。

バイブルから打開のヒントを探る日々。
感想 |

六年前の記憶

自己憐憫だ、とか言う奴はもう好きに言っとけ。

そうだ。
思い出したよ。

六年前の今ぐらいの時だ。

私は死のうとしてたんだ。
オーバードーズして、死にたいと思って。

救急車で運ばれて、病院に母や姉が来て。



その後、一週間か二週間ぐらいしてからかなぁ。
身体が熱っぽくてダルくて、
姉のアドバイスに従い
検査薬を使ってみたら、陽性反応。


頭ん中はめちゃくちゃ混乱状態だったけど、
私にはまだ何らかの使命があるんだな、と思ったのは覚えてる。

そっからむちゃくちゃ、ゴタゴタ続きになるとは知らずにね~。


思い出すこと、あんまりなかったのに、思い出すってのは、
なんなんだろうね。

特段意味は無いのかもしれないけど、
ココロに巣くう、病気の源泉みたいなものなのかな、と思う。
感想 |
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